ブログ(現場レポート)
赤米フェスタ2017!!!
2017年 9月 20日
久しぶりの更新となりますが、今回は『赤米フェスタ2017』についてお話します。
赤米とは、日本に紀元前からある古代米の一種で、こんな感じ。
ちなみに赤いのは表面だけで、洗米していくとだんだん白色になるそうです。
日本の3カ所(長崎県対馬市、鹿児島県南種子町、そして岡山県総社市)で赤米の神事が伝承されており、
今回はそのひとつである総社市備中国分寺跡で開催される、赤米フェスタ2017の会場準備をしました。
まず会場で真っ先に目に入るのは、赤米の田んぼ。
写真ではイマイチ伝わりにくいですが、ほんとうに赤いです。。
フェスタ当日は、メイン会場のこの赤米のたんぼをバックに、赤米大使の相川七瀬さんや歌手の皆様がコンサートをします。
しかし相川七瀬さん、いつまでたってもお綺麗です。
そして弊社は今回、その赤米の夕べをライトアップする、照明用の櫓を建てに来たわけです。
朝8時から会場には舞台屋さん等が集まり、照明の位置などを確認します。
その間にトラックから櫓用の足場資材がおろされます。
『・・ところで赤米って何?』
『赤飯でしょ』『いやいやそんな安易なWWW・・』
『もしかしてチキンライスじゃないかな』
なんていうおバカな会話をしながら、楽しく組み立てられていく櫓。
やはり仕事はまじめに、そして明るくが基本です。
当日は、アルバイトの学生たちも手伝ってくれたおかげで、とてもスピーディーに作業が進みました。
ちなみに職長が言った『赤米は赤飯』説に対し、思いっきり笑いながら異を唱えたわたしに、
職長から会場のお土産屋さんで撮影した写真が添えられて、短いメールが届きました。
『赤飯でした。』
にゃんだとう?!! そ、そんな安易な!!!!
(-.-)よっしゃもぐたん!!!調べに行こう!!!!!
(もはやアラフォー世代にしかわからないネタ・・・)
調べてみると、もともと赤飯とは今のようにもち米に小豆やささげを入れたご飯ではなく、赤米を蒸したものだったようです。。
庶民の多くは赤米を江戸時代になる前頃まで食べていましたが、稲作技術の発展による品種改良で、味が良く収量が安定する現在の白いお米(ジャポニカ種)に変わってきました。
しかし、神前に赤い色のご飯を供える風習は根強く残っていたので、江戸時代中期の頃、代用品として白いお米を小豆で色づけしたものがお赤飯(あるいは小豆飯)として広まったらしいです。